権利を主張する前に自らを省みよ2016年01月16日 23:59

敢えて言わせてもらう。
70歳過ぎたら運転免許は剥奪でよいのではないか。
もちろん個人差があって、70歳過ぎてても普通に流れに乗って
運転できる人もいるだろう。
そういう一部の人がいるからと言って全ての老人にハンドルを
握らせ続けても良いものだろうか。
平日昼間に婆さんを横に乗せた爺さんの運転。
なんてのはごく普通に見かける光景だけれども、
ノロノロ走るのはまぁいい。
だが、明らかに円滑な流れの妨げになっているにも関わらず、
道を譲らないのは迷惑以外の何ものでもない。
山道では対向車が来ていようがセンターラインを割って走り、
対向車に避けさせるなんてのも日常的に見る。
カーブ終盤で(意味不明な)止まらんばかりのブレーキングで
私の後続車が追突したこともあった。
カーブで真っ直ぐこっちに向かってこられて10cmぐらいで避けたことも。
そしてブレーキとアクセルの踏み間違え。
自分の足の制御も出来ないのに自動車が制御できるのか?
自動車は凶器にもなる。

去年借りたレンタカーは発進時にガッとアクセル踏み込んでも
急には加速しなかったな。
そんな所までボケ老人対策か?

普段は(渋滞でもしてない限り)そう追突事故など起こる場所ではない。
ただ、少し先にカーブがあるので皆減速はする場所。
そこで追突事故が起こった。
それも並のスピードではなかったようだ。
追突された自動車は後部がものすごく大破していた。
しかも追突した方はノーブレーキで更に突き進み、
縁石を乗り越えてそこにあったあらゆるものをなぎ倒して止まった。
最近MCしたばかりの車種だったが。
運転していた爺さんは救急車で病院へ。
追突された自動車の運転手は死亡。
やりきれん思い。

私はなにも老人の自由に移動する権利を奪えと言うのではない。
ただ、歳をとれば反射速度も運動能力も衰えて当たり前。
なのにいつまでも運転を許可し続けてもよいのだろうか。
幼児にピストル、キチガイに刃物と同義に思えてきた。
老人は譲らない。
だが、老人の歩調に全体を合わせたらどうなるか。

死亡事故が起こるたびに思う。
死んだ人はまさか今日死ぬなんて考えもせず家を出たのだろう。
上の事故で死んだ人も、おそらく何が起こったのかさえわからないまま
死んだのだろう。
これはもはや通り魔殺人と同じ。
もし自分の身内がこんな死に方したら
「オマエが死ね」
と言うだろう。

そういえば昔爺にオカマ掘られた事もあったな。
ポコンと当たっただけだったけど、一向に出てこないから降りていって
「今当たったやろ!」
と言ったらヘラヘラ笑ってやがった。
老人は謝らない。

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