死とは2013年10月22日 00:01

年齢を重ねるとまた一歩、死が近づいたような気がする。
反面、目を反らしてそんなものはまだまだ先だと思いたい自分もいる。

「人間というのは苦しみが半分、楽しみが半分」
という話を若い頃、知り合いの人から聞いたことがある。
楽しいことのみを追求し、楽しくないことには不満を。
そういう生き方をしている人には本当に半々なのかも知れない。
だが不公平なことに、真面目にしようとすればするほど
苦しみの方が多くなる世の中なような気がしないでもない。
苦しいことがあるからこそ楽しいこともひとしお。
なんて、もうそんな世の中じゃないような気さえする。

生きていくのが苦しくて、辛くて、苦しみからの解放を願って
死を選ぶ人の気持ちもわからなくも無い。

「死後の世界なんてあるわけない」
そういう人がいる。
虹の橋があったり天使がおったり、あるいは獄卒に責め立てられたり。
確かにそんなものが存在するとはとうてい思えない。
昔流行った臨死体験とかで、死んだら自分が見えて、
だんだんと高い所に登っていって・・・そのあとどうなるんだ?
そもそもなんでそこから帰ってきた。

それとは別に、苦しみから解放されたくて死を選ぶ。
電車に飛び込んで何千人何万人の足を止め、自らは挽肉となって
死ぬ者と、人知れず山中で枝につり下がって死に土となる者。
あるいは、身内に看取られて眠るように死ぬ者。
身体に管や電線を張り巡らされて悶絶して死ぬ者。
昨日まで普通にしていたのにぱったりと死んでしまう者。
それらの死が同じものとはとても思えない。

死亡事故を見聞きするといつも思う。
その人はよもや自分が今日死ぬと思ってはいなかっただろう。
いつもと同じように家を出たはず。

かく言う私の元にもやがて死は訪れるであろう。
それが明日なのか、数年後なのか十年後なのか。
最近眠りに落ちる瞬間に変なところに迷い込んでしまって、
ビックリして起きることがあるのでこんな事を考えてしまいました。

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