いつまで喪に服すか2011年03月31日 13:40

最初にお断りしておきますが、
私は今回の震災でなくなられた方や、
被災者の方を蔑むつもりは毛頭ありません。

さて、自粛について。
ゲンダイネットの記事を読んで認識した。
演説について書いたが、この国の首相のメッセージに足りなかったもの。
それは、自分がこの国の長として明確なビジョンも決意もまったく
表明しなかったこと。
一部では、あらかじめ予想されていた通りの内容だったとは言え、
あのメッセージを聞いて表面には出さなくとも、
落胆、あるいは不安を抱いた人も多いのではないか。
思えば、現政権は震災前からすでに自信喪失状態だったのでは。
それを補おうと、大連立を模索したり、他党の老害を組み入れたり。
震災後もここぞとばかりに大連立を目論んでみたり、
意味のわからない役職を乱立させ、外部の人間を参与として
複数取り込んだり・・・
指揮系統がどんどん分散して、よけい混乱しそうだが。

現政権与党がまだ野党だった頃、シャドーキャビネットとかいう
内閣ごっこをしてたのを覚えている。
その後、政権交代したけれど、ごっこじゃ済まされないぐらいの重圧に、
枝豆自身がぼやいていたではないか。
内閣ごっこを見て、某カルト教団を連想してしまう。
実力も経験もないけど、大臣にはなりたい。
だから自分たちで勝手にやってみた。
そんなノリで、本当に政権交代してしまったみたいな気がしてならない。

自粛で「花見禁止」とかどうとか。
自粛は結構だが、被災してない地域は極力普通にするべきだ。
海外の経済エロい人が「日本は貧乏になる」と言ってたが、
特に西日本は今こそ活性化して経済を支えるぐらいでないと、
本当にこの国の経済は取り返しの付かないことにならないか?
それでなくても、原子炉を廃炉にするのに数十年とか。
物の溢れた中で生まれ育った若い人が、これから迎えるであろう
貧乏な時代を乗り越えられるのであろうか心配だ。

葬式というのは、死者のためにするというよりも、
残された者のためにするものだと思っている。
実際に身内が死んだ時、悲しかったけれど葬式の準備に忙しく、
ゆっくり悲しんでいる暇がなかった。
斎場で悲しさはピークだったけど、帰って親戚らと飯食いだした頃には
そういう気持ちがかなり薄れているのに気付いたから。
一国を上げて喪に服すのは結構だが、本当にいいのか?

一応私も阪神大震災では被災した。
まぁ、被害は家の水道管が破断して、ガスが一ヶ月止った・・・ぐらい。
職場も何トンもある機械が動いてたのと、
倉庫がえらいことになってたぐらいで、
翌々日から普通に作業を始めたが。
それでもしばらくの間は地震にかなり過敏だった。
トラックがガタガタ音を立てながら近づいてくるとハッとして手を止める。
「また来るか」
と、私だけじゃなく職場のおっさん連中が皆手を止めていた。
大の大人でも余震に怯えていた。
その年の夏、中止かと思っていた花火大会が開催された。
正直あのドーンって音がまだ不安をかきたたせたのだが、
終盤には本当に感動していた。
花火大会で感動したなんて、後にも先にもあれっきりだ。

自粛もいいけどね。



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